決議・声明

辺野古新基地建設が、沖縄県民にのみ過重な負担を強い、その尊厳を踏みにじるものであることに鑑み、解決に向けた主体的な取り組みを日本国民全体に呼びかけるとともに、政府に対し、沖縄県民の民意を尊重することを求める決議
 
1 現在、政府は、普天間飛行場の代替用地として米軍に提供すべく、沖縄県北部の辺野古崎海域において、埋め立て工事を行っている。沖縄県知事が埋立承認を取り消し、また撤回し、幾度となく上京して説明をし、また集中協議等の場で再考を求めても、遠い沖縄側の意向は何ら顧みられることなく、きょうも、淡々と工事が継続されている。
  この間、沖縄県民を除く日本国民の多くは、かかる政府の方針と行為につき、必ずしも強い関心を示していないように見受けられる。
 
2 沖縄県民の多くは、辺野古新基地の建設に明確に反対をしている。このことは、同基地建設の是非を主たる争点として実施された過去二度の県知事選挙において、いずれも同基地建設に反対した候補が大差で勝利した事実に端的に表れている。
これは、沖縄県民の4人に1人が亡くなったともいわれる熾烈な地上戦が繰り広げられた地に、戦後70年以上の長きに亘り戦勝国の広大な基地が置かれ、その間も県民に様々な理不尽を引き受けてさせてきた挙句に、生物多様性に富む美しい自然を不可逆的に破壊してつくる新たな外国軍基地を受け入れよというのであるから、人間の心理、感情として、ごく当たり前のものといわなければならない
 
3 自国の防衛が、国民の合意の下で国が重点的に担う事項であり、国民が平和の恩恵を受ける対価として一定の負担を甘受しなくてはならないとしても、その負担は、合理的理由のない限り、全ての国民が等しく負うべきものであり、特定の地域の、それも歴史的・文化的に際立った特徴を有する地域の僅かな数の国民に、合理的理由なく、その明確な反対を押し切って大部分を負わせるなどという不正義・不平等は、あってはならない。
事情により負担の著しい偏りが避けられない場合であれ、我々国民は、全体として、負担の偏重を緩和ないし解消すべく、現状の措置に止むにやまれぬ理由が認められるか、更なる負担の加重を避ける方策はないかということを絶えず、真摯に検討し、たゆまぬ努力を続ける必要がある。それが、憲法の下で、不断の努力によって自由及び権利を保持する義務を負い(第12条)、法の下の平等を保障(第14条)された、国民全体の責務である。
 
4 普天間飛行場の返還は、その基地形成過程及び沖縄県民にこれまで課された過度な負担からすれば当然の施策であり、平成8(1996)年のSACO合意を待たずとも、決定、実行されなければならなかった施策である。
では、同飛行場の代替施設という名の下に、辺野古に新基地を建設することは、我が国の防衛上、止むにやまれないものと認められるであろうか。米国海兵隊が沖縄に引き続き駐留し、ローテーションの中で訓練を行うことは、我が国の防衛上、代替性のない唯一の選択肢といいうるであろうか。
政府はこれまで、この点についての合理的な説明を何らなしえていない。むしろ、日米両政府の元高官らの数々の発言からは、米国海兵隊の沖縄駐留が、軍事的に代替不可能な唯一の選択肢として把握されているわけではないことが明白である。
 
5 世界人権宣言前文、国際人権規約前文、そして日本国憲法第13条は、個人の尊厳を保障する旨規定している。これは、一方において、他人の犠牲において自己の利益を主張しようとする利己主義に反対し、他方において、全体のためと称して個人を犠牲にしようとする全体主義を否定して、全ての人間を自主的な人格として平等に尊重しようとするものであり、かように人間固有の尊厳を承認することが、人権保障の核心であるとの人類共通の理解に基づいている。
  そのため、「代替基地を沖縄県内に新たに設けることについての止むにやまれぬ理由」につき合理的な説明のないまま、長年基地負担に苦しんできた県民が繰り返し且つ明確に拒絶するなかでこれを建設することは、沖縄県民の自主的判断を軽視し、同県民を他県民と平等に扱わないこと、すなわち、同県民を他の県民と同様に「自主的な人格として平等に尊重していない」ことを意味するものであり、また、同県民の尊厳を軽んずる、極めて不当な施策であるといわなければならない。
同様のことが沖縄県以外の地域で問題となった場合、日本政府及び国民は、沖縄に対するのと同様に、不正義・不平等に目をつむり、唯一の解決策であるとして、当該施策を是認するであろうか。本州や九州、北海道や四国で同様の不正義・不平等が生じた場合、日本政府及び国民は、正義及び尊厳の問題としてこれをとりあげ、解決に向けて、全体で取り組むのではなかろうか。かような正義感は、沖縄の問題においては、何故に発揮されないのであろうか。
 
6 また、日本国憲法は「地方自治の本旨」(92条)を保障している。この「地方自治の本旨」の内容を構成する住民自らの意思に基づいて地域の事項を決定するという住民自治の趣旨からすれば、二度の沖縄県県知事選挙の結果に表れた辺野古新基地建設反対の民意は、最大限尊重されなければならないものである。
 
7 当会は、全ての日本国民に対し、沖縄の問題を自らの問題、日本の問題としてとらえ、同じ国民として痛みを分かち合い、苦しみを共有し、主体的に解決策を模索することを呼びかけるとともに、政府に対し、現状の不平等と不正義を改めて認識したうえで、住民自治の趣旨に則り、沖縄県民の意思を尊重し、これ以上沖縄県民の尊厳を重ねて傷つけることのないよう求める次第である。
以上、決議する。
2018年(平成30年)12月10日
沖 縄 弁 護 士 会
提 案 理 由
 
1 辺野古新基地建設は、沖縄県民に過重な基地負担の継続を強いるものであるとともに、辺野古・大浦湾の豊かな自然環境を不可逆的に破壊するものであり、沖縄県及び沖縄県民は、辺野古崎海域を埋め立てて新基地を建設することに対しては、繰り返し反対の意思を表明してきた。
世界人権宣言は、その前文で「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」と宣言し、国際人権規約は、その前文で「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものであることを考慮し、これらの権利が人間の固有の尊厳に由来する」と規定し、日本国憲法は、第13条前段において「すべて国民は、個人として尊重される。」と定めている。
これらは、一方において、他人の犠牲において自己の利益を主張しようとする利己主義に反対し、他方において、全体のためと称して個人を犠牲にしようとする全体主義を否定して、全ての人間を自主的な人格として平等に尊重しようとするものであり、かように人間固有の尊厳を承認することが、人権保障の核心であるとの人類共通の理解に基づいている。
そのため、「代替基地を沖縄県内に新たに設けることについての止むにやまれぬ理由」につき合理的な説明のないまま、長年基地負担に苦しんできた県民が繰り返し且つ明確に拒絶するなかで辺野古に新基地を建設することは、沖縄県民の自主的判断を軽視し、同県民を他県民と平等に扱わないこと、すなわち、同県民を他の県民と同様に「自主的な人格として平等に尊重していない」ことを意味するものであり、極めて不当な施策といわなければならない。
 
2 それゆえ当会は、かかる問題が深刻な人権問題であるとの立場から、2010年(平成22年)12月13日の臨時総会において「沖縄への新たな米軍基地建設に反対する決議」を決議し、2014年(平成26年)1月15日には、「普天間飛行場代替施設建設事業に基づく公有水面埋立申請を沖縄県知事が承認したことに反対する会長声明」を公表し、2015年(平成27年)10月27日の臨時総会において「辺野古新基地建設にかかる沖縄県知事の公有水面埋立承認取消処分の尊重を求める決議」を、2017年(平成29年)5月30日の定期総会において「辺野古新基地建設工事の停止と沖縄県との真摯な対話を求める総会決議」をそれぞれ決議し、2018年(平成30年)7月25日には、「辺野古新基地建設のための土砂投入を強行せず工事を停止し、沖縄県及び沖縄県民との真摯な対話を求める会長声明」を公表するなどして、繰り返し見解を表明してきた。
ところが日本政府は、これら決議等を顧みることなく、普天間飛行場の代替施設という名の下に、辺野古に新基地を建設することが「我が国の防衛上唯一の解決策」であるかのような説明を続け、今日まで工事を継続している。
 
3 しかしながら、独立後の日本本土で反米基地闘争が巻き起こった1950年代を通じて、日本本土の米軍基地面積が大きく減少した反面、アメリカ施政下の沖縄で米軍基地面積が激増し、その大きな要因となったのが、日本本土から沖縄への海兵隊の移駐であった事実に照らせば、我が国の防衛上、海兵隊が「沖縄に」駐留しなければならない地政学的な必然性があるとの説明には、必ずしも合理性があるとはいえない。また、沖縄からソウルは1260km、沖縄から台北は630kmの距離にあり、台湾海峡や朝鮮半島への距離をみた場合、我が国には、海兵隊の駐留場所として、沖縄より地理的優位性に優れた地域を想定することが可能である。国は、この点について具体的且つ実証的な説明をなしえていない。
そもそも、沖縄駐留の海兵隊は、ローテーションにより、一年の半分以上は海外で訓練を行っており、その間沖縄を不在にしていることや、海兵隊を運ぶ日本本土の揚陸艦母港と沖縄が約780キロメートルも離れている事実に照らしたとき、沖縄における海兵隊の駐留が、即時対応能力を備えた防衛力として国防上必須であるとの説明は、容易に理解・納得できるものではない。
 
4 この点、日米両政府の元高官は、次のような発言をしている。
2012年(平成24年)12月、当時の森本敏防衛大臣は、退任前の記者会見において、「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である。」と発言した。同人は、「安全保障の専門家」として、民間人として初めて防衛大臣に就任した人物である。同様に、2012年(平成24)年12月に防衛大臣に就任した中谷元元防衛大臣も、防衛大臣就任前であるが、沖縄への米軍基地集中について、「分散しようと思えば九州でも分散できるが、(県外の)抵抗が大きくてなかなかできない。」と発言していたことが明らかになっている。同人も、かつて防衛庁長官を務め、長く防衛畑で責任ある地位にいた政治家であり、その発言の意味するところは重大である。
アメリカ側においても、米クリントン政権で米軍普天間飛行場返還の日米合意を主導したジョセフ・ナイ元国防次官補が、2015年(平成27年)4月2日、日米両政府が進める普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「沖縄の人々の支持が得られないなら、われわれ、米政府はおそらく再検討しなければならないだろう」と述べ、地元同意のない辺野古移設を再検討すべきだとの見解を示している。また、ウィリアム・ペリー元米国国防長官も、2017年(平成29年)9月、日本メディアのインタビューに対して、軍事上、沖縄の位置は特別ではなく、辺野古新基地建設問題は、政治的・経済的な問題であると明言している。
これら日米両政府元高官による数々の発言は、海兵隊の沖縄駐留が軍事的に代替不可能な唯一の選択肢ではあり得ないことを、端的に裏付けるものである。
 
5 さらにいえば、近年のミサイル技術の向上により、沖縄に集中する米軍基地は、逆に軍事上のリスクになっているとも評されており、その脆弱性は米国内のシンクタンク等からも明確に指摘されているのであって、辺野古に新基地を建設することの軍事的な合理性・必然性は、この点においても見いだせないところである。
 
6 それにもかかわらず、政府は、辺野古における新基地建設工事を継続し、近日中にも辺野古崎海域に土砂が投入されかねない情勢である。そして、かかる政府の対応について、現在までのところ、沖縄県民以外の国民の多くは、必ずしも強い関心を有していないように見受けられる。
  沖縄は、日本の一部でありながら、際立った文化的特徴と特異な歴史を有する地域である。かような地に、その必然性についての合理的な説明のないまま、住民の強い反対を押し切って、国全体のための防衛施設を長期間配置するという施策は、果たして、個人の尊厳と正義を尊ぶ日本国民の、本意に基づくものなのだろうか。日本国民においては、今一度、沖縄の問題を自らの問題として捉え、同じ国民として痛みを分かち合い、苦しみを共有し、主体的に解決策を模索することを呼びかけたい。
そもそも、日本国憲法のもとで個人の尊厳(第13条)と法の下の平等を保障(第14条)され、主権を行使する国民は、不断の努力によって自由及び権利を保持する義務を負うのであるから(第12条)、合理的理由なくその尊厳を侵害され、偏在的な負担を長期間負う地域が認められる場合には、全体としてその解消に取り組むことが、憲法上求められているのではなかろうか。
 
辺野古新基地建設の問題は、沖縄と政府の間だけの問題ではなく、国民全体の問題である。
 
以上の見地から、本決議を提案するものである。
以 上

 

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