岡口基一裁判官に対する職務停止の撤回及び弾劾裁判の不罷免を求める会長声明
1 2021年6月16日,岡口基一裁判官(以下「岡口裁判官」という。)に対する弾劾訴追の請求に対して,裁判官訴追委員会(以下「訴追委員会」という。)は訴追の決定を行い,弾劾裁判所に罷免の訴追をした。これを受けて,7月29日,弾劾裁判所は,岡口裁判官の職務を停止する決定をした。
罷免の訴追は岡口裁判官のインターネット上等での表現行為を根拠とするものであり,これが裁判官としての威信を失うべき非行であると判断したものである。今後,弾劾裁判所の審理を経て弾劾罷免の是非が判断されることになるが,本手続きにおける処分は罷免か不罷免かしかなく,仮に罷免となった場合,岡口裁判官は裁判官の身分のみならず法曹資格を失うことになる。
2 日本国憲法(以下「憲法」という。)は,裁判官の職権行使の独立を確保するために身分を強く保障している。裁判官の懲戒及び弾劾に関する規定がその表れであり,憲法78条は司法内部の秩序を維持するために裁判官の非行に対して行う制裁である懲戒について行政機関の関与を排除し(同条後段),また,裁判官の罷免は心身の故障の場合を除いては公の弾劾によらなければすることができないとしている(同条前段)。
かかる裁判官の強い身分保障を担保するために,弾劾による罷免事由は「職務上の義務の著しい違反」「職務の甚だしい懈怠」「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」と定められ(裁判官弾劾法(以下「弾劾法」という。)2条),分限裁判により行う裁判官の懲戒処分の事由(裁判所法49条)よりも一律に要件が加重されている。これらの罷免事由がなければ裁判官は罷免されないし,そもそも弾劾訴追がなされることもない(弾劾法11条1項)。
3 弾劾裁判所による罷免は裁判官の強い身分保障に対する憲法上の例外であるから,その要件該当性は過去の弾劾裁判における罷免事由との均衡等を踏まえて慎重に判断されなければならない。
法の一般原則としての比例原則は,何らかの不利益処分を課す際に要請されるものであって,目的と手段のバランスを要請する原則として機能している。裁判官の職務外の非違行為については「品位を辱める行状」としての懲戒処分(裁判所法49条)もしくは「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」としての弾劾罷免(弾劾法2条)しかなしえないところ,前者は戒告及び1万円以下の過料のみ可能であるのに対し(裁判官分限法2条),後者は裁判官の身分はおろか法曹資格をも失わせる効果を有する極めて強い制裁とされており,その中間的な処分が存在しない。
一定期間の職務停止や減給等,中間的な懲戒処分が制度として存在しない以上,比例原則の観点からは,裁判官の職務外の非違行為について弾劾罷免の要件該当性を認められるのは,裁判官の身分のみならず法曹資格を喪失させる弾劾罷免をもって臨むことが真にやむを得ない場合に限られるというべきである。
戦後に弾劾裁判所が審理した9件の罷免訴追事件のうち,「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」と認定された行為は,収賄,少女買春,ストーカー行為,盗撮等それ自体が刑事犯罪に当たりうる極めて違法性の強い行為や,職務上裁判官の地位にあることを奇貨として私人に便宜を図る行為である。これらの行為は,裁判官の強い身分保障に鑑みても弾劾罷免をもって臨むことが真にやむを得ないと判断すべきものと言わざるを得ず,その結論について異論を差し挟む余地は乏しい。
4 しかるところ,岡口裁判官の行為は複数のインターネット上での書き込み及び取材や記者会見での発言といった表現行為であり,いずれも職務外のものである。この点,表現行為も脅迫罪,強要罪,名誉毀損罪や侮辱罪など刑事犯罪を構成することがあり,その内容如何によっては「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」の要件該当性が認められる可能性も存する。しかしながら,表現行為は多種多様であるから,一義的に犯罪行為に該当するようなものであれば格別,そうでない表現行為については,表現行為の内容のみならず,表現行為に至った経過も含めて検討し,評価することが必要となる。
岡口裁判官の表現行為については,過去の弾劾罷免の事案との均衡に照らしても,弾劾罷免をもって臨むことが真にやむを得ない非違行為であると評価できるか否かが問題となる。
5 そこで検討するに,訴追事由となった岡口裁判官の表現行為には適切とはいえないものも多く,特に「(被害者遺族は)洗脳されている」旨をSNS上に記載した行為は,その行為が被害者の命日に行われたことも相まって被害者遺族の尊厳や感情に対する配慮を欠いた不適切なものと言わざるを得ない。また,岡口裁判官は過去に表現行為に関して戒告の懲戒処分を受けており,訴追事由に戒告後に行われた表現行為が含まれていることは,岡口裁判官の不適切な表現行為に対する非難を加重する要件となり得る。
しかしながら,それでもなお,比例原則の観点からは,弾劾罷免すなわち「法曹資格剥奪」という法曹にとって著しく厳しい制裁に値するほどの非行とまではいえない。前述の「(被害者遺族は)洗脳されている」とするものが侮辱罪に当たる余地があるとの指摘もあるが,前後の岡口裁判官の発信からはこの表現は毎日新聞社及び東京高裁に対する非難の趣旨に出たものとする見方もあるところであり,少なくとも被害者遺族に対する侮辱罪を構成する表現であると即断することはできない。
岡口裁判官の表現行為が不適切であることについては,分限裁判による懲戒処分や民事訴訟によって評価されるべきものに留まり,これを超えて法曹資格を喪失させる弾劾罷免をもって臨むことが真にやむを得ないほどの非違行為であるとは言えない。仮に,岡口裁判官の表現行為に対して弾劾罷免がなされたとすれば,裁判官の表現行為に対する委縮効果を生じることは避けられない。
よって,岡口裁判官の表現行為に対する弾劾罷免は認められない。
6 また,今般,岡口裁判官に対して弾劾罷免の判断に先行する職務停止の決定がなされ,岡口裁判官は訴訟事務から排除されているが,弾劾裁判所はその理由を示していない。職務停止は「相当と認めるとき」に行うことができるとされているが(弾劾法39条),裁判官の表現行為に対して明確な基準なく恣意的に職務停止がなし得ることになれば,表現行為への委縮効果はさらに顕著であり,裁判官の身分保障が形骸化する。
弾劾裁判所が理由を明らかにすることなく岡口裁判官の職務を停止したことは極めて問題が大きく,職務停止は撤回されるべきである。
7 以上のとおり,当会は岡口裁判官に対する職務停止の撤回及び弾劾裁判の不罷免を求める。
2022年(令和4年)2月16日
沖縄弁護士会
会 長 畑 知 成